Now, we think

KOZUKA513  shop paper vol,31 january 2022

2022年 令和4年がスタートした 壬寅(みずえのとら)
令和4年は昭和97年 平成34年で 明治115年 大正111年だそうだ
だんだん和暦と西暦の変換が難しくなってきた

前の壬寅の1962年(昭和37年)は
なんと言っても東京タワー完成の年 首都高1号線が開通したのもこの年 








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                  KOZUKA513 shop paper vol,30 december 2021

もうすぐ今年が終わり新しい年に向かおうとしている今 よく耳にする古い歌がある
"WHAT A WONDERFUL WORLD"「この素晴らしき世界」
パラリンピックで印象的に使われていたし CMやテレビの特集でも取り上げられた

この歌が作られた60年代後半のアメリカは ケネディ暗殺やベトナム戦争 人種間闘争
国民の誰もが疲弊している そんな時代だったという
そんな中作られたこの曲 ルイ・アームストロングは録音を熱望したが会社に拒否され
秘密裏に録音を敢行 本国では全く売れなかったが欧州では成功を収めた
以来多くのミュージシャンがカバーし 名曲の一つとして今も歌い継がれている
 The colors rainbow So pretty in the sky Are also on the faces   Of people going by
   I see friends shaking hancs Saying "How do you do"  They really say "I love you"
   空にかかる虹は美しく行き交う人々の表情も美しい
 友と友が手を取り合って挨拶する「ごきげんよう」 その本当の意味は「愛している」なんだ
そして歌う 未来は希望に満ちていると
 I  hear babies cry  I watch them grow  They'll learn much more  Than I'll never knew
   And I thikn to myself What a wonderful world
   幼子が泣いている 彼らが成長する姿が見える 彼らは多くのことを学ぶだろう
 私たちが知っているよりもずっと多くのことを
 だから思う なんて素晴らしい世界なのだろう と

歌は世相を反映する だから今 私たちはこの歌に心寄せるのだろう
辛い日々を過ごしてきた私たちは願う 来る世界が「素晴らしき世界」であることを
心の底から"What A Wonderful World"と言える日々が帰ってくることを
2022年が輝かしい年でありますように!



 

 

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                                                KOZUKA513 shop paper vol,30 november 2021

子供の頃に演劇の舞台を見て 本でも読んでとても思い出に残っている物語
「森は生きている(12月物語)」(サムイル・マルシャーク)
わがままな王女のお触れ 欲にかられた継母
真冬の冬に森に季節外れの花を摘みに行かされた少女が12の月の精と出会って幸せになる
というような話
その中で 子供心に印象的だったのが 12の月まの精の描かれ方
3~5月の精は少年の姿で描かれ 6~8月の精は青年 9~11月は壮年 そして
12~2月は老人の姿だ 2月生まれの自分は少し悔しいような想いも抱きながら
そんなふうに月をイメージする捉え方があるのかと なんとなく納得していた

「青春」という言葉には続きがあって朱夏 白秋 玄冬 というらしい
春は青で 夏は赤 秋は白 冬は黒 これは中国の陰陽五行説に由来する
青春は15~30歳 朱夏は30~50歳 白秋は50代後半から60歳 玄冬は60歳後半以降
青春って思っていたより長いな とおかしな感想を抱きつつも
マルシャークの季節のイメージとなんとなく重なる部分があって面白い

11月 白秋も終わりに向かい 月の精でいえば壮年期が終わる
やがて来る暗く冷たい冬を恐れるような 身も心も縮こまり老人に近づいていくような
そんな季節
しかしふと気づく 月はまた巡ってまた若人の月になり 黒い冬は青い春へと生まれ変わる
それは「再生」という言葉を思い起こさせ 何かしら心の中に希望が灯るような気になる
田や野山はいったん死んだような眠りにつくけれど多くの植物たちは玄冬の中
土の中であるいは土に這いつくばるようにして寒さをしのぎ 春に芽吹くのだ
冬を憂う季節は 同時にその先の春を待つ季節でもあるのだな と感慨に浸る11月


               




 

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                                                KOZUKA513 shop paper vol,29 october 2021

われは草なり 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる日は 伸びるなり
われは草なり 緑なり 全身全て 緑なり 毎年かわらず 緑なり 緑の己にあきぬなり
われは草になり 緑になり 緑の深きを願うなり
ああ 生きる日の 美しさ ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす 草のいのちを 生きんとす 
                                                                    「われは草になり」(高見 順)

夏が過ぎ 秋もまた行こうとしている 今年も草刈りに明け暮れた
畑の草刈り 棚田の草刈り 駐車場の草刈り 庭や植え込みの草刈り
刈っても刈っても旺盛に伸びる草は ちょっとした脅威だ

「雑草」というものはないのだ という人がいる
どの一つの草にも名前があり 生きるための戦術があり 遠い昔から延々と続いてきた
それはそうなのだ 「雑草」にしても「害虫」にしても
人の利益の相対として 人が作り出した言葉 草は草で 虫は虫だ
それでもやはり 草ぼうぼうに荒れた土地は見ていてどこか心がすさむ
だから 草を刈る

里山の風景を見て 「自然豊かですね」と感想をもつ人がいる
しかし現実は 里山の風景は長い年月をかけて人が作り出したものであって
けして自然そのままのものではない
人が手を入れない自然そのままは 人を寄せ付けない厳しいものだと想像する
自然の恵みを受け 自然の驚異に ときとして恐れを抱き 調和してきた風景が里山だ
草刈りにも苦労するのもあと少し そんな季節

 

 

    

 

 

 

 

 

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                                   KOZUKA513  shop paper vol,28   september 2021

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる (藤原敏行)

「風が変わった」とふと思う
それまでの 重く湿気を含んだ空気が急に軽くなったように感じ 風は爽やかに流れる
「水ぬるむ」春の訪れも 感覚的には似ているかもしれない
ほんの少しの温度や湿度の違い
四季の移ろいを日本人はこんな風にとらえるのだな と改めて思う

多くの田ではもう稲が刈られ 稲架掛けされ 畔には彼岸花が咲き始めている
南房総の季節の移ろいは早い 間違いなくもう秋が来ているのだ
そう言えば 近隣の道の駅ではすでに今年の新米が出回っている
「新米」という言葉の響きに心躍るのも日本人ならではの感覚なのかもしれない
新麦や新じゃがもあるけれど「新米を食べる」ほどのテンションはない ような気がする
新米を丁寧に研ぎ上げて土鍋で炊き 炊き立てを食べる
新米に豪華なおかずは却って要らない
お新香やおいしい卵 塩辛やしらす干し 上手に仕上げられた梅干し・・・
炊き立ての新米をおいしく食べる術を 日本人はなんて豊かに知っているのだろう
ちなみに仕事の新米のことを「新米」と呼ぶけれど お米が起源とする説の他に
「新前(あたらしいもの)」「新前掛け(新人の奉公人)」「江戸に増えた新人と米」
ち諸説あるようです

実りの秋 読書の秋 運動の秋 芸術の秋
秋の入り口立って 「豊かさ」とは何だろうとこの時節だからこそ改めて考える9月










       



 

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                                 KOZUKA 513 shop paper  vol,27 /  august  2021

都会では新暦7月のお盆が多いように感じるけれど 自分の中でお盆といえば8月
明治の時代 新暦(太陽暦)が採用された頃 7月は農繁期に重なるので農村部を中心に
8月に旧暦のお盆をする地域が多くなったという
そうか 自分は農村地帯が広がる田舎の出身だから旧暦のお盆が自然なのだ

暑さの厳しい夏の最中のお盆
お墓参りに行こうとすればぎらぎらと太陽が照りつけ アブラゼミが盛大に鳴いている
なるべくならそんな時間は避けたいところだけれど みんな考えることは一緒で
朝夕は激混みになるから結局そんな時間に行くことになる 炎天下のお墓参り
炎天下といえば 旧暦お盆は夏の甲子園の時期と重なる

テレビの中では高校球児の熱闘が繰り広げられ 応援団は汗だくなって声を枯らす
そんな画面の中の風物詩を肴に お盆休みをいいことに昼から冷たいビールをあおる
8月15日は 日本では終戦の日でもある
昭和20年 その日関東は1日を通して概ね晴れ 気温30度を超える真夏日だったという
戦争の時代を生き延びたあるいは命を落とした人たちに思いをはせ 平和について考える

今はコロナ禍で 地元に帰省したり親族が集まったりすることみ難しいのだけれど
お盆は 「今年はあの方が亡くなった」「あの人が亡くなってからもう何年になる」と
去っていった命を数え 去っていった人たちに思いをはせる季節でもあったのだ

 今年の夏が来た 生きているまぶしさ
 今年の夏が来た まっすぐな目をした きみがいる(渡辺美里)
さて 夏本番の8月 !

 

 

 


     



 

 


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                                                     KOZUKA 513 shop paper  vol,26 /  july  2021

虫が苦手な人には申し訳ないが 虫の話

6月中旬 宿泊客の希望で近くの知人の棚田へ蛍を見に行った
昨年は それは素晴らしい蛍の乱舞が見られた棚田
当の知人が「こんな事は初めてと」いうくらい素晴らしい幻想的な情景だった
今年はどうだろう 半信半疑で出かけたのだけれど
昨年のようにはいかないが 数匹の蛍が飛び交い 触れられるほど近くにやって来る
十分に素晴らしい貴重な時間を今年も味わうことができた
蛍が見られる条件というのがなかなか難しい
前の晩に雨が降り十分な湿気があり 当日は新月または曇りの無風であること
もちろん水がきれいでなければ棲息できないから無農薬の水が豊富にあること
そんな好条件に恵まれ 2年連続で蛍を見られたことがとても嬉しい

カフェの外のテーブルでくつろいでいると 唐突にその虫が飛んできた
体全体がまるで金属のような光沢をもち 背中は虹のような縦縞模様
ヤマトタマムシ「玉虫厨子(たまむしのずし)」の玉虫だ
実は以前 館山の赤山地下壕跡を訪れたとき初めてその姿を目にして驚いたのだけれど
ここにもいたとはね なんでも槙の木などにも卵を産みつけ付けるらしい
そういえば入り口に槙の木があり それは古民家を買い取る前からずっとあった木だ

裏山ではこの季節になるとハグロトンボがまるで蝶のように優雅にひらひらと飛ぶ
ナナフシやオオカマキリも訪れるし 昆虫ではないけれどサワガニやタカアシグモも元気
里山の豊かさを心から噛み締めながら梅雨明けを待つ7月







                                                               






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                                                                  KOZUKA 513 shop paper  vol,25 /  june  2021

たびたび鴨川に波乗りに訪れていた僕らは ある日偶然に 大山千枚田に出会った
海の鴨川しか知らなかったので 里山の豊かな風景はとても新鮮だった
「こんな景色を見ながら暮らすことができたなら どんなに素敵だろう」そう思った

カフェやゲストハウスをしたいという夢があった
たくさんのカフェを巡り 僕たちが作るのならこんな店 と想像を膨らませていた

そうして鴨川大山地区とカフェ&ゲストハウスが結びついた

大変なのは土地・建物探し そう簡単にカフェを始められるような物件がある訳もなく
僕たちは市外地図を買い込み およそ考えられる土地や建物を見て回った
今は使われていない牛舎をカフェに改築するのはどうだろう そんなことも考えていた
「古民家が売りに出るよ」という情報をいただいた
長狭街道から一本旧道に入り 茅葺屋根をトタン瓦で包み込んだ昔ながらの佇まい
住む人もとうになく古びてはいたけれど 心が惹きつけられる そんな建物
僕たちは ここで夢を実現させようと決めたのだ

2019年6月3日 僕たちはCAFE&GUESTHOUSE「KOZUKA513」をスタートした
その年の9・10月は房総半島を台風が襲った
ようやく1年たった去年の2020年6月 新型コロナウィルス それは今も続いている
それでも僕たちは3年目の夏を迎えたのだ 「石の上にも3年」目
まだまだやってみたいこといっぱい 知りたいこといっぱい の3年目のスタートです







 

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                                                                     KOZUKA 513 shop paper  vol,24 /  may  2021

滝を登り切った鯉は竜なれるという 「鯉の滝登り」だ
「甍(いらか)の波と 雲の波・・・」で始まる「こいのぼり」の歌
かろうじて1番を歌えるかどうかなのだけれど 調べてみると3番は
 百瀬(ももせ)の滝を 登りなば 忽ち竜に なりぬべき
 わが身に似よや 男子(おのこご)と 空に躍るや 鯉のぼり
という歌詞になっていた
黄河の上流に竜門と呼ばれる急流があり そこを登り切った鯉は天の昇って竜になる
ということが「後漢書」というものに書いてあるらしい
「登竜門」という言葉がそこからきているとは知らなかった
実際には 鯉の泳力は滝を登るほどではなく
サクラマスなら3~5mの滝をジャンプして「滝越え」をするのだそうだ でも
急流に逆らい続けてあきらめず ついに登り遂げて竜になるという話 悪くない

5月 今年も里山の田には苗が植えられた まだ頼りない稲が風にたなびく
本当に 米を作る仕事はすごいな 尊いな と思う
もちろん1年を通じて米づくりの仕事は素晴らしいなと思うのだけれど とくにこの季節
大山千枚田や知り合いの田で田植えをするにつけ
育苗から草刈り 田起こし 畦塗り 代掻き 毎年毎年 手をかけている人々の知恵と努力
都会では何気なくスーパーマーケットで 銘柄米がどうとかいいながら買っていたお米の
底深いありがたさをかみしめながら 今日も土鍋でご飯を炊く

それにしても 5月ってこんなに寒いんだっけ?   梅雨入りももうすぐ
今年も蛙の声を聴きながら 爽やかな夏の里山の風景の夢を見る

 

 

 

 

 

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                                                             KOZUKA 513 shop paper  vol,23 / april  2021

「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」(一休宗純師)
「花」と言えば日本では古来「桜」のことを指すらしい
一休宗純師は、最後に再び「花は」と言葉を継ぎ「みよしの」と結んでいるけれど
「みよしの」は「美吉野」であり奈良県吉野町を指し そこは桜の名所だからやっぱり桜
花も人も散り際の美しさが大事、というのはあまりに古い日本人的な感覚だろうけれど
桜を日本の花の代表ととらえる感覚はなんとなくわかるような気がする
やっぱり桜が満開になれば心が躍るし 散れば散ったで桜吹雪や花筏に心動かされる

「桜を家の敷地に植えてはいけない」と聞くことがある そのわけはいろいろあるようで
若葉のころに大発生する毛虫の始末が大変なこと
土中の養分をものすごく吸い取るため土地がやせ他の植物の成長が悪くなること
根張りが強く建築物の基礎を痛めてしまうほどになること
「桜の木の下には死体が埋まっている」というフレーズもよく聞くけれど
これは桜井基次郎の小説「櫻の木の下には」に由来する半ば都市伝説
でも江戸時代頃にはパッと散る姿が縁起の悪いものと考えられていたらしいし
戦後は「咲いた花なら散るのは覚悟」的な負のイメージがつきまとう
桜に罪があるわけもなく 今年も鴨川の土手の桜や佐久間ダム親水公園の桜は咲き誇り
ようやく訪れた春の喜びを味わわせてくれた
以前のような盛大な花見はできないけれど それでも桜の下で飲むビールは格別だった

今年の桜は例年より早く咲いたような気がし すでに桜の花びらも散り若葉が茂っている
新年度の始まり 季節の巡り 時の流れを 一番実感するのがこの時期
踏み出した新しい一歩が より素晴らしい より実りのあるものになりますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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              KOZUKA 513 shop paper  vol,22 / march  2021

          
2021年の彼岸の入りは3月17日  中日が20日(春分の日)   彼岸明けは23日
「彼岸」は現世である此岸に対して 煩悩や苦しみ・迷いから解き放たれた悟りの境地
「涅槃」を指すのだという 修行を積んだ者を除き死後にたどり着くのが一般とされる

小さなころ とてつもなく臆病な子どもだった
「死」ということに敏感で それを連想させる「4」や「白」を極端に恐れていた
例えば毛布の表裏が模様地と白地だったら 白地が見えるように使うことができなかった
けれど 長い時間を生き歳をとった今 もうそんな自分ではないことに気づく

  ふりかえるひまもなく時は流れて 帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
  すがりたいだれかを失うたびに だれかを守りたい私になるの
  わかれゆく季節をかぞえながら わかれゆく命をかぞえながら
  祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
  忘れない言葉はだれでもひとつ たとえサヨナラでも 愛してる意味 (中島みゆき「誕生」)

長い時間を生きるということは それだけ多くの大切な人たちを見送るということ
それは避けて通ることのできない心理だということが あるとき突然わかる
その大切な人たちが 彼岸で待っているのだとすれば
過ぎていく時間をいたずらに恐れるのではなく
彼岸で大切な人たちに再び会うまでの時間をしっかりと生き
たくさんの土産話を蓄える時間したい そんなことをときどき思う

「息吹」は呼吸 地上のあらゆるものの生きている証 春の息吹を全身で受け止める3月 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                KOZUKA513 shop paper vol,21 / february 2021

今年の節分は 2月2日  1897年(明治30年)以来124年ぶりなのだという
そんなこともあるのかとちょっと不思議に思う
そういえば今年は豆まきのニュースを聞かない 日本のあちらこちらで有名人が行う盛大な豆まきが毎年話題になっていたはず
それがないことに少し拍子抜けする やはり自粛なのだなぁと改めて思う
改めて思ったついでに考える 「鬼」って何だろう
一般的には邪であり悪であるものの象徴 英語では「demon」と訳が当てられる
子供の頃 大きなお寺で地獄図絵の開帳というのがお正月にあって 
閻魔様に従う鬼や人間が化身したといわれる餓鬼の姿は それは恐ろしいものだった
宗教的要素も絡みながら「鬼」を生み出したのは人間の想像力であったのに違いない
待てよ? その一方で 例えば「泣いた赤鬼」(1935年 濱田広介)の赤鬼は
異種族・異文化に愚かしいことに憧れて同じ種族の親しい友を失う憐れな存在だった
最近 節分に因んでこんな話を目にした 曰く
「和を以て貴しとなす」人は争うことをせず いつか再び返してくれることを約束国を譲った
約束は「煎り豆が芽吹く頃に国を返す」というもの
煎り豆が芽吹くことなどあり得ず 異民族は返還を迫る原住の人々に
「まだだ」といってあざけるように煎り豆を投げつけた
原住の人々はやがて山に隠れ盛り合森に隠れ 「鬼」と呼ばれる存在になった
「鬼」を生み出すものはいったい何であるのか そんなことを考える今年の節分

節分が過ぎれば春はもう間近 よい春が巡ってきますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                 KOZUKA513 shop paper vol,20 / january 2021

令和3年 2021年が始まった 六十干支では辛丑(かのと うし)の年
ひとつ前の辛丑 60年前の1961年は
横浜マリンタワーが開業し NHK朝の連続テレビ小説がスタートした
プロ野球日本シリーズでは巨人が6年ぶりに優勝 大相撲は柏戸・大鵬が横綱同時昇進
まさしく「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代の幕開けだった
世界を見渡せば
アメリカではJ・Fケネディが大統領就任
4月に旧ソビエト連邦が人類初の有人衛星を打ち上げ地球一周に成功したかと思えば
そのすぐ後にはアメリカが合衆国初の有人宇宙飛行を実現した
東ドイツ(当時)が東西ベルリンの境界を封鎖し「ベルリンの壁」を建設し
その壁は19889年に崩壊するまで続く 東西冷戦の真っただ中だったのだ

それから半世紀余
1971年にはアポロ14号が月面着陸
1981年はエイズが発見された年
1991年はソビエト連邦崩壊
20年前の2001年には「9.11」アメリカ同時多発テロ
10年前の2011年には「3.11」東日本大震災が起きている

2021年からは(正確には2020年12月22日以降)「風の時代」らしい
「個性・コミュニケーション・個人」の時代なのだという
西洋占星術とかホロスコープの世界はよくわからないけれど
それでも 良い方向に舵が切れる節目であるならばよいなと 心から思う
         

 

 

 

 

 

 

 

 

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                 KOZUKA513  shop paper  vol,19 /  december 2020

サッカーが特別に好きなわけではない テレビでも観ない 試合会場にも足を運ばない
けれど 試合の前なのか後なのか サポーターがスタンドで歌うのを見るのが好きだ
もちろんインターネットで見るのだけれど
川崎フロンターレは「川崎市民の歌」(好きです かわさき 愛の街)
川崎に住んでいると 塵芥車が流すメロディーとして耳に馴染んでいる
短調から長調に移調するところがたまらなく心地よい
モンテディオ山形のサポーターは 「スポーツ県民歌」というものを歌う
  月山の雪 紅そめて 朗らかに明けゆく新生日本
  興すは力 若き力 今さきがけて我ら起つ
山形県人は おそらく相当の確率でこの歌が歌えるはず
小学生の頃から何かしらの体育的行事で聞き 歌ってきているから
実はこの曲 詞は西條八十 曲は小関裕而

「エール!」ロスに陥っている これほど毎朝観続けた連続テレビ小説もない
ツボはたくさんあったけれど あれほど多くの歌える俳優が出揃ったすごさ
ミュージカル好きとしては 劇団四季に関わりのある俳優が登場するたび心が躍った
世代的に一年代上の話だけど「この歌もそうか あの曲もそうか」と
なんとなく聞き覚えている歌曲が登場し 昭和の時代の複雑さ・豊かさを感じさせられた

令和2年の1年間に流行した言葉 今年を象徴する言葉
流行語大賞には案の定 新型コロナウィルス関係の単語がずらりと並んだが
個人的には「エール」が一番だと思っている
大変な時期を支えていた人々に 困難に耐えて生きている人々に エールを!
新しい年は 様々な困難を乗り越えた輝かしい年でありますように


 

 

 

 

   

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                                            KOZUKA513  shop paper  vol,18 /  november2020

日ごとに寒さが増してきた 空に星がさえる季節
さそり座や白鳥座などの夏の星座はいつの間にか姿を隠し 冬の星座の代表格 壮大な
オリオン座が夜空を飾っている

オリオン座の右上と左下は1等星のベテルギウスとリゲル ベテルギウスは
おおいぬ座のシリウス こいぬ座のプロキオンとともに冬の大三角形を構成する
日本では古来 ベテルギウスを「平家星」 リゲルを「源氏星」と呼んでいたらしい
左上と右下は2等星のペラトリックスとサイフ 4つの星で巨大な矩形を作る
でも オリオン座の1番の魅力は 矩形の真ん中に並ぶ3つの星なのだと思う
西から ミンタカ アルニラム アルニタク いずれも2等星
西洋では「tristar」と呼び 沖縄のバンドは「黄金三星(くがにみちぶし)」と歌う

星空を見るたびに 不思議に思い 気が遠くなるような思いをすることがある
星座や大三角形を形作る星たちは 実はそれぞれに太陽からの距離が違うということ
シリウス  プロキオンが10光年なのに対して ベテルギウスは600光年以上だという
そして そんなに遠くの星だから 今見ている星の光は数百数千年も昔の姿であり
もしかしたら今現在は存在しないものなのかもしれないということ
もしベテルギウスの爆発を観測したならば それは600年も昔の出来事だということ

    何億光年 輝く星にも 寿命があると 教えてくれたのは あなたでした
    季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命 知らせてくれたのも あなたでした
                      (「さよならの向こう側」詞 阿木燿子)

星空の不思議や 冬枯れの草木の姿に 思いをはせる晩秋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                K0ZUKA513 shop paper vol,17 /  october2020

       わたしみずからのなかでもいい 私の外のせかいでもいい
       どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
       それが敵であっても かまわない 
       及びがたくてもよい
       ただ 在るということが 分かりさえすれば
       ぁぁ ひさしくも これを追うに つかれたこころ
                        (八木重吉「うつくしいもの」)

この世で最も美しいメロディはなにか ひとそれぞれに好みはあるし 
多様なジャンルの中からこれと決めることも難しい
どんな心の状態で聴いているかによっても随分と違うのだろうなと思う
ある人はマーラーの「adagietto」だと言うし 
ある人はジャコとトゥーツの「Three Views of Secret」だと言う 
答えはどこにもない その人その時で違う
それでもやはり「ある」のだろう

「Londonderry Air (ロンドンデリーの歌)」も この世で最も美しい歌の一つだと思う
アイルランド民謡であり「Danny boy」としても知られる
映画「ナビィの恋」(1999年 中江裕司 監督)でのそれは 大太鼓とオルガン・サックスの素朴な島人バンドの伴奏山里勇吉の島唄独特の節回しの歌 際立って美しい

この世で最も美しいメロディ この世で最も美しい絵画 この世で最も美しい風景
それはどれなのか どこにあるのか 結論が出るものではないことは分かっている
それでも この世で最も美しい何かを求め続けることは 人の生きる喜びなのだと思う











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              KOZUKA513 shop paper vol,16 / september2020

「祭」は俳句の世界では夏の季語
春や秋の祭りはそれぞれき「春祭」「秋祭」のように季節を書き記すことがきまりらしい
昔から夏は疫病が発生しやすく それをもたらす元凶は怨霊だと信じられていた
それを鎮めたり祓ったりするために行ったのが夏祭りの始まりだという
遠い昔の人々の災厄を鎮めたという 切実な願いや祈りが今は実感としてわかる
皮肉なことにその災厄のために 夏祭りが中止や規模縮小に追い込まれている
大山地区の祭礼も 例年ならば各地区の神輿が集結し大山不動尊の急な石段を登る
それは迫力のある盛大なものなのだ

8月8日土曜日 祭礼の代わりに金束睦会主催の金束納涼花火が打ち上げられた
間近で上がる花火の迫力と美しさ 打ち上げ前後の笛・太鼓のお囃子の清々しさ
お囃子の調子に合わせて太鼓や笛の様子をまねる子供たちの愛らしさ
本来の祭りに比べれば質素なものだろうけれど
これまでに見たどの祭りよりも 花火も人も美しかった
本祭が中止に追い込まれたことの無念 でもそれに負けていられるかと言う心意気
金束の花火は災厄で疲弊した心に染み入るものだった

秋は収穫の祭りだ
南房総では8月の終わりには稲穂が金色に色づき 刈られた稲が稲架にかけられている

稲株が整然と並ぶ田んぼの風景は 終わりではあるけれどまた次の始まりを待つ静けさ
10月の大山千枚田の収穫祭も今年は中止 ライトアップするだけになるけれど
今年も 今年だからこそ 心の底から収穫を祝いたいと思う
長夜を鳴き通す虫の声と美しい星空 季節はいつの間にか秋

 

 

 

 

       

 

 

 

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                KOZUKA513 shop paper vol,15 / august2020


「かもめ食堂」という映画があった 2006年公開 荻上直子監督  群ようこ原作
ヘルシンキで日本食の食堂を営む日本人女性(小林聡美)のお話
北欧らしい街並みの風景や かもめ食堂の清楚な佇まいがいい
地元の人にはなかなか受け入れられなかった日本食の食堂
地元食材のザリガニやトナカイの肉でおにぎりを試作するくだりや
シナモンロールの匂いに誘われて店に入ったご婦人たちが常連になるエピソード
どことなく滑稽で それでいて「食堂」というもののありようを妙に考えさせられる

フードコーディネーター飯島奈美による 料理の姿かたちが素晴らしい
結局のところ鮭や梅干しやおかかに落ち着いたおにぎりの それはそれは端正な姿
真っ白なプレートにさりげなく乗せられた 例えば焼き網で丁寧に焼かれた鮭だったり
揚げたてをさくっと切り分けられたトンカツだったり
おいしそうな料理の姿かたちは国や文化を超えて 人の心に響いてくる
そんな力があるんだなぁと思う

どこか心の隅に「かもめ食堂」が原点としてある
高級食材や高価な調味料 高度な技法を使った料理ではないけれど
美味しいと思う材料を美味しいと思う味付けで調理し さりげなくでもできる限り
彩や盛り付け方を考えて そんな食事に魅せられて 自分たちも作りたかったのだ
生きることは食べることだ
贅を尽くした一品でも 塩鮭の切り身を丁寧に焼いただけのものでも
日々の一食一食が その一皿が心までも豊かにするものであったらいいなと思う

長かった梅雨もようやく明けて アブラゼミ ミンミンゼミ ヒグラシの鳴く夏本番

 

 

 

 

 

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                  KOZUKA513 shop paper vol,14 / july2020

昔むかしあるグループは「旅人はつぶやく 人生は旅」と歌った
「船乗りは教える 人生は海」だというし 「人生はたった一度だけのドラマ」だという
人生をどうとらえるかは人それぞれだろうし 旅だ海だといわれてもピンとこないけど
旅をすることは大好きだしいろんな旅をしてきた

ミュージカルを観るためだけにロンドンやニューヨークに行った
波乗りするなら行っておかなければとハワイやバリに行った
気が置けない仲間とひたすら飲んで食べる台湾やベトナムの旅をした
京都や出雲を1人で巡ったこともある
旅の目的は様々だけれど どの旅でも必ず宿と現地での食事はついてくる
海外旅行や有名観光地ならばそれなりのホテルや宿に泊まるし食事も豪華
それはそれでもちろん旅の大きな思い出になっている
でもそれとは別に 小さな宿や思いがけない食事が後々まで心に残ることがある 
波乗り旅で使った外房の民宿 今はもうない駅近くのビジネスホテル 
開店していると思って入ったら家族が食事中で それでもおいしいスンドゥブの朝食を食べさせてくれた韓国の街はずれの食堂
旅のさなか毎日のように通ったロンドンのイングリッシュブレックファースト
台湾でようやく探し当てて入った食堂の鶏肉飯と小皿料理の数々
旅の面白みはたぶん綺麗にパックされた旅のホテルや食事の中よりも
ちょっと迷いほんの少し冒険し自分で探り当てたものの中にあるような気がしてくる

生きることが いつも決められたレール通りではなく
迷子になったり冒険を試みたりした先に面白みがあるのだとしたら
やっぱり人生は旅に少し似ているのかもしれない

 

 

 

 

 

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                 KOZUKA513 shop paper vol,13 / june2020

草刈りの季節が来た
5月の下旬に刈ったはずの駐車スペースの横の草地は
雨の日晴れの日 また雨の日また晴れの日 繰り返しの中で力強く生い茂っている
作業ズボンと長靴を着け 首にはタオル 頭には麦わら帽子 刈り払い機を回す
たいした広さではないとはいえ 10分20分で終わる面積でもない
刈り始めると途端に汗が流れ いつ終わるのかと気が遠くなる

エンデは 清掃夫ペッポにこう語らせる
「なぁ、モモ、とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。
おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが
いつ見ても 残りの道路はちっとも減っていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。
心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて動けなくなってしまう。
道路はまだ残っているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?次の一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ
つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつも ただ次のことだけをな。」(部分引用「 Momo 」Michael Ende)

物語は 時間の節約・効率化だけが正しいとされる社会に警鐘を鳴らす
都会での日々の時間に追われた生活の中で何度も物語を読み返した
「つぎの一歩」「つぎのひと呼吸」いつもただつぎのことだけを考えることを忘れ
時間を無駄にしていないか もっと効率よく時間を使えないかと 焦る自分がいた

5月に植えられた稲はたくましく育ち 梅の実は実り 柿は小さな実をつけている
人の時間軸とは別の 自然の大きな時間軸に癒される

 

 

 

 

 

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                 KOZUKA513 shop paper vol,12 / may2020

今年も田に早苗が植えられた

去年の稲刈りを終えて静かに休んでいた田は
起こされ 人手であるいは機械できれいに畦を塗られ 水が張られ
代かきを終えた後には細々と頼りなく見える苗が一面に植えられた 
(心配になって苗を多めに植えると「厚い!病気になる!」と怒られる)

稲が育って青々とした田や 金色に実った稲穂が垂れる田も それは美しいけれど
苗を植えられたばかりの水を満々とたたえた田が青空を映す景色
一番美しいと密かに思う

あれほど台風で被害を受けたのに 思いもかけなかった大災厄に見舞われているのに
今年も田には苗が植えられ やがてはたくさんのたくさんの米が実るのだろう
その営み それを支える人々の力のすごさを 今年ほど感じることはない

大災厄が終息した後 これまでとは違った世の中になると人々はいう でも
先人の知恵や努力で繰り返されてきた営みは そう簡単には変わらないのだと思う
本当かどうかわからない情報に日々翻弄されてしまっているけれど
これまでと変わらない田の風景の確かな美しさは 自分を安心させてくれる

何を大切に生きるのか
大震災や台風被災の時のように自分たちはまたも問いかけられている
本当に大切なものを見誤らないように 答えを探さなければ・・・
今朝 家の前で偶然見つけた四つ葉のクローバーを手に 考えてみる

 

 

 

 

 

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                                  KOZUKA513 shop paper vol,11 / april2020

3月末から4月初め 年度が替わるとき
学年が終わり新しい学年が始まる 学校を卒業する 進学しあるいは社会に出る
退職者や異動者と別れ 新入社員や異動者と出会う
自らが新しい世界に踏み出したりもする
緊張と寂しさと でもどこか胸が躍るような そんな季節だったはず

それが今年は一変した 新型コロナウィルス

1月 隣国で新感染症が発生 日本に寄港したクルーズ船での大量発症
そして国内でも感染が拡大し続けた
2月 内閣総理大臣の全国一律休校の要請
イベントや会合の自粛も要請された
3月 東京オリンピック2020は1年程の延期が決定し 
大都市圏では週末の移動の制限が要請され 会合や花見も自粛が呼びかけられた
世界を見渡せば アジア圏での拡大が主と思われた新感染症は
ヨーロッパ各国やアメリカ合衆国でも拡大の一途をたどった・・パンデミック
歴史の中やノンフィクションでしか目にしなかったことが現実になった

政府や関係機関の対策の是非をうんぬんする立場にないし 徒な批評・批判をすることは
厳に慎みたいと思うから 何の主張ももち合わせていないけれど
ただひたすら祈る
一刻も早く新感染症の拡大に終止符が打たれますように
日本でも全世界でもこれ以上の犠牲者を出さず
過去のことと 安堵できる日が来ますように

 

 

 

 

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                KOZUKA513 shop paper vol,10 / march2020

「歩かなくなったなぁ」とふと思う
考えてみれば都会で勤め人をしていた頃の方が歩いていた
最寄りの駅まで歩き 乗り換え駅で歩き 駅から職場まで歩く
都内出張とかあれば職場から駅まで 駅から出張先まで歩く
仕事の帰りには途中駅で降りてショッピングのために街を歩き回る
そして最寄り駅から自宅まで歩く
自宅から駅まで 駅から職場までそれぞれ歩いて15分位の距離があったから 1日にそれなりの距離を歩いていたのだと思う
今はコンビニに行くのでもスーパーに行くのでもすぐに車を使う
共同経営者のKは 看板犬「開」の散歩で毎朝毎夕歩いている 発見があるという
散歩のついでにフキノトウを摘んできたり SNS映えする風景写真を撮ってきたり

探せばいい散策コースがたくさんありそうな気がする
ひたすら田んぼの畦道を歩く
田植後の青空を映す田 青から黄色に色づく稲穂 はざ掛けされた稲と残った株
そんな季節の移り変わりを感じるのはおもしろそうだ
里山の小道を選んで歩く 枝分かれした小さな道をあえてたどってみる
思わぬところに小さなお地蔵さまがあったり 美しい畑や素敵な家に出会ったり
実はお店の裏にもあったのだ 大きな杉の木の間を通り丁寧に手入れされた花畑や野
菜畑を眺めながら歩く小道 台風で大変な被害を受けてしまったけれど
低山歩きをする
おにぎりと飲み物とちょっとしたおやつを入れたリュックサックを背負って
山から里 尾根からまた山と時間をかけてゆっくり歩く

今年は歩こう お気に入りのコースをマップにしよう そんなことを考える春

 

 

 

 

 

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                 KOZUKA513 shop paper vol,9 / february2020

花に心を動かされることなんて 昔はなかった
その季節になればその季節の花が咲く 取り立てて騒ぐこともない

ある日いつものように最寄りの駅からとぼとぼ歩き職場の玄関にさしかかったとき
その香りに気づいた 植え込みの中に沈丁花の花が咲いていた
初めて咲いたわけはない その前年もまたその前年も咲いていたはず
不意に涙がこぼれた
疲れていたのかもしれない もうすぐその職場を去る感傷だったのかもしれない
初めて沈丁花の香りを知ったように心がとらわれた

初めて気づく
今年は台風のせいか暖冬のせいか花芽の伸びがもうひとつ元気がないけれど
長狭街道沿いのあちらこちらで見られる水仙の群生
一面の菜の花 やがて桜が加茂川沿いに咲き 庭に見つけた紫木蓮もまた咲くだろう
季節が廻れば 夏の盛りの百日紅や秋の田の畔の彼岸花にまた会える
知っていたのに知らなかった花 いまだ名前を知らない花
季節は繰り返し花々は当たり前のように咲く
そのことが尊い

4大香木をKOZUKA513にそろえるのが夢
一昨年植えた金木犀は秋に小さな金色の花を咲かせあっという間に散ったけれど
「ああ 金木犀がある」という喜びを味わわせてくれた
沈丁花は春の開花に向けて花芽を大きくしている
果たせていないのは冬の蝋梅 夏の山梔子
四季それぞれの香木の香りを楽しみながら暮らす なんて贅沢なのだろう


 

 

 

 

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                                                        KOZUKA513 shop paper vol,8 / january 2020


令和2年1月1日  令和に入って初めての元日
あたりまえだけど 令和元年に元日はない
同じように 昭和元年にも平成元年にも元日はなかった 
昭和元年は 1926年の12月25日に始まり 平成元年は1989年1月8日に始まった
ついでに調べたら明治は (西暦)10月23日に、大正は7月30日に始まっている
「○○元年1月1日」ってないんだなぁとなんとなく思う 
  ※なお、奈良時代の「天応元年1月1日」が唯一元日の改元とされる こりはユリウス暦781年1月30日
   また、明治は詔書により「慶応4年を改めて明治元年と為す」と定められたので 遡って(旧暦)元年1月1日が存在することになる
なにはともあれ 令和になって初めてのお正月を迎えた
新年あけましておめでとうございます

正月の原風景
子供だった頃 親の実家に親戚中が集まり臼と杵で餅をついた あれは年末だったか
初詣は市街地の大きな神社だったり 家の近くの古い小さな神社だったり
あの頃は年末からは近所の店もスーパーもデパートもみな閉まっていて
それはそれは静かな正月だったような気がする 
静かだけれど 餅つきやお年始の挨拶でいとこやいろいろな人と会う機会があり
なんだかとても温かかった
次の正月は(気が早いけれど)KOZUKA513でも 餅つきをしたり人が集ったり

さて 2020年 閏年
いよいよ東京オリンピックの開催される年です

 

 

 

 

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                KOZUKA513 shop paper vol,7 / december2019

鴨川で2度目の冬が来る
去年は金束の近くに家を借りて仮住まいをしていた
窓からの冷気を防ぐために防寒シートを貼ったり 一斗缶で焚き火をしたり
古民家に残されていた灯油ストーブがありがたかった
瞬間湯沸かし器はなく お風呂の湯沸かし器も壊れていたからお風呂に入れないと覚悟した日々がしばらく続いた
(屋外に湯沸かし器があってお風呂にお湯が溜められることはあとで知った) 鴨川の初めての冬は寒かった

だけどやっぱり南房総の冬はこれまで経験した冬とは違っていた
11月 古民家の周りには水仙が咲きだした
12月 金束から程近い佐久間ダム親水公園では 盛大に水仙祭りが行われていた
冬にこんなに花が咲くなんて
そういえば「南房総では2月はもう春」と聞かされてはいた 房総フラワーラインに様々な花が咲き始める2月
東北や北海道では2月は極寒ですよ・・・・

「冬来りなば春遠からじ」
まで何か相当な覚悟というか悲壮感さえ漂わせて冬を迎えてきた
南房総では何か違うような気がしている
寒い冬は来るのだけれど もしかしたら今年も少しは雪が降るのかもしれないけれど 南房総の冬と春は なんだか斑模様のような境目が曖昧な そんな気がしている

でもやっぱり寒いものは寒いTOYOTOMIのストーブで温めるに越した事は無い

 

 

 

 

 

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                                                           KOZUKA513 shop paper vol,6 / november2019 
今年も柿の実が実った
古民家の前に1本 裏の庭にも3本 柿の木がある
台風や大雨の影響で大きな枝が折れ 今年は少ないような気もするけれど それでも食べ切れないぐらいの実がついている
どうやって使おうか・・とりあえず柿のジャムは作ってみた このままヒヨドリがつつき 蜂や蝶が蜜を吸うのもいいけど
やがて腐って落ちてしまうのはね

「自給自足」という言葉に憧れる気持ちがある 必要なものは全てスーパーやコンビニで買う 面倒なら何もせずに誰かが調理してくれたものを食べる 衣類や道具だって便利でおしゃれなものを対価を払って手に入れる そんな生活を長いこと続けてきたから今更完全自給自足の生活を試みるほど自分はタフじゃない 
それでも
自然が恵んでくれているものを上手に生活の中で生かしてみたいし できる範囲でいいから自分が食べるものや使うものを自分の手で作ってみたい 
古い道具や身の回りにある素材を使って生活しているって なんだかかっこいい

ここでの暮らしを始めてから
筍や蕗を採ったり小さな畑で野菜を育てたり 自分で集めた素材を料理して食べた
竹を切り出して物干し竿にしたり生け垣を作ったりしてみた
まだまだ小さなことばかりだけど そんな生活をもっともっと楽しんでいけたらいい

 

 

 

 

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             KOZUKA513 shop paper vol,5 / octorber2019

令和元年9月8日夜半から次第に風が強まり、9日未明には めちゃくちゃな暴風になった
「めちゃくちゃ」というのが誇張でも何でもないそのものの台風
悪意に満ちた何かが建物をわしづかみにして地面からひきはがそうとでもしているような揺れ
普段絶対に耳にしない何かが裂けるような音 ぶつかり折れる音

夜が明けると辺りは様相が一変していた
大きな木の枝や竹が折れてそこら中に散乱し 電話線が切断されて垂れ下がり 見慣れないトタンや何かが飛んできていた
そしてその日から10日間に及ぶ停電が始まった

幸い建物に大きな被害はなく水道とガスと食糧はあったから すぐに生きていくのに困るようなことはなかったけれど
充電がなくなり 通信は途絶え 冷蔵・冷凍したものはつぎつぎとダメになっていき 高速道路は封鎖され それどころかあちらこちらで生活道路が寸断され コンビニも商店も営業を停止し 冷たい飲み物も温かいシャワーもない日・・

そんな中で
営業している遠くの店で買ってきた氷を分けてくださる人 LEDランタンを貸してくださる人 
飲料水のペットボトルを差し入れてくださる人 電源を快く貸してくれた公民館の人
無料で温かいお風呂を提供してくれた青少年センター 復旧作業にあたるたくさんの人々

「生かされた」という思い
大きな災害の後 まだまだ大変なことが多いかもしれないけれど 一歩一歩だな! 

 

 

 

 

 

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                 KOZUKA513 shop paper vol.4 / september2019

店の中ではジャズが流れている
ときどきボサノバ
その日そのときの気分に合った音楽を流す。気持ちのよい音楽の中で一日を過ごす これもやりたかったことの一つ

店を閉めて音楽を止めると いろいろな音が聞こえる
蝉の聲、鳥の聲、様々な虫の聲
木の葉の音、竹と竹とがぶつかる音、風が生み出す音
長狭街道を走る車やバイクの音
はるか上空を飛ぶ飛行機の音

真夜中に一人で古民家にいる 聞こえてくるのは虫の聲、まれに通る車の音、あとは静寂
「星の聲が聞こえる」って、誰が言ったんだっけ?
世界には気づいていないたくさんの音があるのかもしれない
看板犬「開」はそんな音を聞いているのかもしれない

 

 

 

 

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                KOZUKA513 shop paper vol.3 / august2019

古民家ということ

昔あるテレビドラマで、都会の女性が移住を夢見て鎌倉のカフェを訪れ、「古民家っていいですよねぇ。」と言ったら、「古民家じゃなくて、住んでいるうちに古くなっただけですよ。」と返されていた。なるほどね と思う。

古民家の定義は分からないけれど、自分の父親の実家もそれそは立派な茅葺、土間、厩付きの古い農家で、子供の頃訪ねていくのがちょっぴり怖くもあり(外トイレだったし)、楽しみでもあった。

KOZUKA513はかなりの改築を余儀なくされたけれど、最小限手をかけた空間というにはかなりモダンなデザインを加えてはいるけれど 多くが空き家になってしまっている「いえ」の存在を哀しく思いつつ 自分たちなりのひとつの「古民家」再生のカタチだと思っ
ている。

 

 

 

 

 

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                                                         KOZUKA513 shop paper vol.2 /july2019
KOZUKA513という空間

一人でぼんやりカウンターの窓越しに緑を眺めながらコーヒーを飲む
仲間でテーブルを囲み、ご飯を食べる
ゆったりとした場所で 1時間でも2時間でもおしゃべりをする
他にお客様がいなければ ごろりと横になる
縁側に腰かけて じっくり本を読む
グループで打ち合わせをする 趣味の仲間が集まる
              楽しみ方 いろいろ 使い方 いろいろ







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                 KOZUKA513 shop paper vol .1/ june2019

KOZUKA513。2019年6月にオープン。
田園と緑豊かな山に囲まれた、鴨川市金束。
その金束の、築年数100年を超える古民家を改装した、カフェ&農家民宿。
大山不動尊や大山千枚田にほど近く、長狭街道に面している。

ゆっくり流れる時間の中でコーヒーを味わう、里山の空気を感じながら地元食材を使って料理をし、古民家の趣のある
空間で安らぐ、時には、季節ならではの体験をしてみる。田植えや稲刈り、畑仕事、竹の子を堀る、近くを散策して花や木の枝を摘む、思いっきり焚火する・・・
「ちょっとだけ、日常を離れて楽しみたい。」
そんなひと時と空間を、ここKOZUKA513で味わってもらえたら、と心から思う。